2012年01月16日

「建築、アートがつくりだす新しい環境」へ行く

1/15(日)までの建築展の最後、東京都現代美術館の「建築、アートがつくりだす新しい環境 -これからの”感じ”」へ。この会期終了直前に行くという悪い癖はどうにかならないものでしょうか。

妹島和世と西沢立衛のSANAAが企画、展示構成を手掛ける展覧会だけあって、SANAA関係者展みたいな気もする。ジャンルや世代も多岐にわたるが、建築勢は完成形よりはプロセスやスタディ模型を見せるものが多く、アートに少しでもすり寄ろうという意図が見えた。特にスペイン勢建築家が多く内容も興味深かった。

石上純也の展示はまたしても「メンテナンス中」。彼のはいつも展示中に壊れてしまうのだが、彼の作品特有で残念と言うよりはおかしかった。
インドのスタジオ・ムンバイやバーレーン文化省、そして近藤哲雄他の作品は、いずれも妹島和世が総合ディレクターを務めた第12回ヴェネツィア・ビエンナーレで話題になったものである。こういった形で日本においてそれらの作品に触れられたことは貴重だった。屋外展示されていた「Cloudscapes」は箱の存在感もよかったが、やはり人工雲を突き抜けて歩くという初めての体験がおもしろい。この雲をつくり出したのはクライメート・エンジニアと言われる建物内の気候を担当するドイツの専門家集団。こういう立場の人は今後様々なところで必要になるのではないでしょうか。

エントランスホールでは「失われた街」という大震災で失われた沿岸部の模型復元プロジェクトの展示。ギャラ間での展示は見逃してしまったから、ここで見られたのはよかった。まっ白な失われた街がものも言わずに、それでもなにか我々に訴えているような気がしてしばし呆然としてしまいました。

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2012年01月14日

メタボリズム展に行く

今度は森美術館で行われている「メタボリズムの未来都市展」へ。今回がメタボリズム初の展覧会とは知らなかった。宣言から約50年。今回これだけ包括的に行ったのはかなり意義のあることではないでしょうか。

5時間くらい会場にいただろうか・・・、とにかく内容の濃い貴重な展示だった。そして60年代当時の社会的な高揚感や建築家達のエネルギーやパワーに圧倒されてしまった。自分ではなんとなくメタボリズムを分かった気でいたが、何も分かっていなかったのだ。今更と言う気もするが、浅田孝という建築家をよく知らなかったし(浅田彰の叔父)、もっと言えば黒川紀章や磯崎新や大谷幸夫といった巨匠達の巨匠たる所以がようやく納得いった感じさえした。榮久庵憲司といえばインダストリアルデザインの人だとタタカをくくっていたら、「道具」から派生して建築や都市のビジョンをここまで描いている人だとは知らなかった。震災復興においてもとても尽力している人である。
メタボリズムのメンバーが1960年の世界デザイン会議においてメタボリズム宣言をしたとき、彼らは軒並み今の自分より若い。黒川紀章なんて若干26才、まだなにも作っていなかったそうである。そして無償で自分たちの理念を表現するべく圧倒的な未来の都市像を訴えていく。戦後日本の高度成長期の夜明けと言えるだろうが、皆が一丸となってある方向へ向かって走っていたと想像できる。

展示は歴史的な背景や、所謂メタボリストメンバーでなくともその理念や方向性を持ち合わせた人、作品、プロジェクトを取り上げて、深く分かりやすく解説している。建築にとどまらす、デザインやアートといった領域にまで影響を及ぼしている。当時の図面や模型やスケッチはとても貴重なものばかりで、特に施工やインタビューの映像はこれから見られることはないかもしれないほど貴重なものだった。細かい模型とその構成・空間を思考し作り上げる能力にはあらためて脱帽である。特に1970年の万博は、今見てもとても新鮮なものばかりで、当時の社会的な空気と一緒に我々に訴えかけてくるものがある。
当時の計画が今に引き継がれ、海外などで50年越しの都市計画が実現するものもあるらしい。50年前の思想がいまだに有効で、かつその時の無償の努力と表現が今に実を結ぶことに驚くと共に感動する。そしてどうしても今の自分、今の日本と比較して、納得してみようと試みる。特に背景にある「国家」というものが現在とは全く違う存在になっているんだろうなあ。だとしても今この困難の時代だからこそ無視できない、もう一度真剣に向き合いしっかりと検証・分析し、受け継がなくてはならない部分がたくさんあると確信もしました。

最後のコーナーではメンバーによるシンポジウムの映像が流されていたが、近年では丹下健三、黒川紀章、そして菊竹清訓といった方々が亡くなっている。寂しい気持ちもしたが時代が変わるときなのだという思いも強くなる。シンポジウムではご健在だった菊竹清訓さんが退席するときに我々へ送ったメッセージをかみしめ肝に銘じよう。
「問題は展開する。決して分かった気にはなるな」
合掌。

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2012年01月11日

オルジャティ展に行く

前回書いてから1か月以上経ってしまった。なんとなく月に2回くらいは書こうと思っていたのに。
12月は年末で昨年は日本にとって大変な年だったし、自分にとっても飛躍のきっかけとなるべき年であったので、なにか総括したかったのだが・・・もう手遅れでしょうね。
年始のあいさつというのもずれている気がするので淡々と続けることを目標にします。

それからブログのタイトルが「めもていど」となっている割に、ここではちゃんと文章を書こうと意識している。というのもFacebookを始めてからメモ程度のことはそっちで記録しておくことが多くなったから。そこでブログの役割を考えて、やはりこちらではある程度考えた文章を発信しておこうと思います。

新年最初は東京国立近代美術館(MOMAT)で行われた「ヴァレリオ・オルジャティ展」
近年話題のスイス人建築家なので名前くらいは知っていたものの、どんなものをつくっているのかは実は全然知らなかった。
MOMATでの建築展はこれで3回目。ひとつのギャラリーを使った展示だし、個人展だからそれほど大きいわけではない。

とても興味深い展示だった。本人が意図したように会場を巡り図面や模型や発想源となる図版を見ていると、オルジャティの思考を巡っているようでいて自分の思考とも重なってくる。その共感を彼は「設計していること」だと言う。つまり展示それ自身が建築という行為なのだと。
この共感を可能にしているのはオルジャティ建築に共通する「なにもなさ」だと思う。あるいは「建築だけがある」。
写真やCGを見ていると「どのように見せるか」ということもかなり意識している人だと思うけど、とにかく無駄なものがない。こまごまとした生活や活動を想像させるもの、例えば文字情報や色や人間自身といったものが排除されている違和感。さらには環境やコンテクストといった建築の背景やベースさえないように見える。しかしそこには構造と素材と空間が力強く存在している。つまりそれを「建築だけ」と感じた。
彼の建築は骨太で、そこにわずかなずれや歪みが加えられていてちょっといやらしい気がしないでもない。しかしそのことが建築を強調し、建築を身体的なものにしているのだと思う。そして度々CGか写真か分からなくなったように、完成したものとプロジェクトで終わったものの境界がないような気もした。それだけ実際できあがっているものが抽象性を獲得しているのだ。
人や周辺を無視しているとか機能的でないという批判は容易いが、むしろそれらは全て建築に取り込まれているような気がする。なんでも取り込めるとき、残るのは建築としての強さなのだ。

スイスと言えばヘルツォークにズントー。しかしどちらでもないオリジナルで強い建築をつくる人がまた現れた(気付くの遅い)。とにかく一度身を置いて感じてみたい建築達だ。

帰りは林昌二氏のパレスサイドビルを拝んで帰る。あらためまして合掌。

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2011年11月30日

狭山ひかり幼稚園OHに行く

もう1か月前になりますが、一応行った記録としてメモ。埼玉県狭山市の幼稚園のオープンハウスである。
設計はまたもや芸大時代の同期、アタカケンタロウくん。本人が通ったという幼稚園の建て替えを設計できるなんて。
相当な苦労と努力をしたと聞いていたけど、やりがいがあったことと想像します。

最初に見た印象は思ったより小さい、ということ。雑誌などで見ていたよりこぢんまりしていて、利用者が子供でスケールが小さいから相対的に大きく感じたのだと、自分なりに納得してから中に入った。
入ってすぐ目に付いたガラスと引戸の納まりをしげしげと見ていたら、「やっぱそこ、気になる?」とアタカ氏。みんなそこを見ていくそうで、建築家の病的とまで思えるような習性を指摘されたようでバツが悪くなった・・・。
内部は外から見た印象と同じく思ったよりもこぢんまりしていて、子供の空間と言うことを抜きにしてもそれはほどよいスケールだと感じた。各教室は、それぞれ異なる断面形状で園庭と裏庭に向いて開き、それらの教室を2本の通り道が貫く構成。断面形状の差異や開口部の設け方、仕上げの差異と統一感、それらが構成の決定ルールの中で葛藤を繰り返し、様々な関係者の中でよくぞまとめたものだと関心した。同じ設計者としては設計上定めたルールを逸脱している部分に関しては、それを非難するわけではなくどうやって新たな解釈として自分自身で消化したのか、が気になりそれとなく聞いてみた。もちろんそれなりの理由があって新たな解釈も聞けたのだが、それらを抜きにしても子供達の空間として良いものを見せてもらった。

芸大の友達はみんな第一線で活躍していて、しばらく会わないと遠い存在に感じてしまうのだが、話をしていると自分と同じ強さと弱さを感じられて親近感が増す。彼にとってどうだったか知らないけれども、ちょっと安心して帰ってきたのでした。

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2011年11月22日

白金の住宅改修

11月の頭に白金で設計監理していた住宅の改修工事が終わる。築35年の鉄骨造3階建て。3社か4社でのコンペになった中でご指名を受けた物件でした。
外形としてはほとんど手を付けず、耐震補強などもしながらどこまで心地よい住まいとしての内装に一新できるか。住まい手のこだわりと元々あった昔ながらの建具やガラスが印象的で、なんとなく「レトロ感」を演出するような内装になった。特にトイレや洗面所といった水回りで主に腰壁タイルとして使ったものが雰囲気を出し、この家の特徴にしている。また左官漆喰のテクスチャーや濃茶の造作が、この建物の時間も継承したような気がする。
平面計画としては1階はほとんど手を付けずにガレージと作業場を残し、2、3階の居室に関してもLDKを3階に持ち上げた他はなにもしていないに等しい。すでにアイテム化してきたカーテンや可動家具による間仕切りを想定して、住まい手にイメージしてもらうことで将来的な自由度を担保できたと思う。
外観は小豆色がまっ白へ激変!色だけだけど新しい生活を始めるには良い変化だと思う。内装写真は近々HPにアップしよう。

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2011年10月25日

江戸東京たてもの園に行く

実家が小金井でありながら初めてとなった江戸東京たてもの園。小金井公園の中、歴史的に価値のある建築物を移築し保存展示している他に類を見ない野外博物館である。子供を遊ばせるにもいいかもと思って行ったら正解だった。
「歴史的な建造物」といっても元々あった場所から持ってきてしまうんだから、その時点でとんでもない試み群ではある。もちろん様々な理由で現地で保存できない建築を持ってくるわけだが、「奈良の東大寺」を見に行こうとか、「伊勢神宮」を見に行こうとか、歴史的建造物と言えば場所性を伴うと無意識に決めつけていたものがその大前提からして違うからなんとなく違和感が付きまとうが・・・。
教科書に出てくるような有名建築があるわけではないけれど、時代時代を代表するようなプロトタイプ的なものを一気に体験できて面白い。昭和初期に「看板建築」なるプロトタイプがあったとは知らなかった。
その中でも有名というか行きたかった建築が「前川國男自邸」。日本の近代建築の祖として多大なる貢献をした偉大な人物だが、この場所で保存されていくというのは喜ばしい限りだ。日本的であることを意識しつつ西洋近代を存分に感じさせるシンプルで品の良い傑作。うちの子が声を上げて走り回っているのを横目にしばし見とれました。
昭和初期の建物が並ぶエリアでは駄菓子屋や遊び道具もいろいろあって子供も大喜び。お昼に食べた武蔵野うどんってあんなに美味しかったんだ。知らなかったです。

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2011年10月21日

中野坂上の住宅OHに行く

芸大時代の同期河内泰一くんが設計した中野坂上の住宅を見に行く。中野坂上は独立してしばらく働いていたところなので比較的馴染みがあって朝一番自転車で赴いた。2世帯住宅でかつアトリエがあるという2階建ての四角い箱だが、パッと見て通常よりも大きく感じました。
それもそのはず特に2階の天井高は3.3mあって、しかも窓や建具がすべてその高さでつくられているので、とにかくその垂直性というか高さが強調されている。さらに全てがグレー1色で仕上げられた空間は、静けさというか神秘的とまで言えるような雰囲気を作り出していたと思う。河内くん曰く「暗い建築をつくりたかった」というのがなんとなく分かる。予算の関係でいろいろなものをそぎ落とし、「天井の高さ」ということにだけこだわることで生み出せるものがあるのだな。
プランは中心にリビング的な場所をつくり、収納を用いて周囲に諸室をつくるような構成。引戸もガラスも収納も全て天井まであることが空間のつながりも演出している。しかし、それにこだわることで失われるものもあったと思う。ここでもいつものテーマが頭をよぎる。なにかを犠牲にしてでもなにかにこだわり「分かりやすい」建築をつくること。う〜ん、建築はとてもたくさんの「こだわるべき」要素があって(ありすぎて)、どうバランスするか、それが魅力だという気もするのです。

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2011年09月30日

「アーキニアリング・デザイン展2011」に行く

UIA世界建築会議の東京大会開催に関連していろんなイベントをやっている。メインのイベントはほとんど28日くらいに終わってて、今日は丸ビルでやってる「アーキニアリング・デザイン展2011」へ。
歴史的建造物から現代建築まで、世界中の建築を模型で「楽しむ」展示である。「楽しむ」というのは建築展には珍しくさわって動かして試してみることができるということで、より一般の人にも身近に感じられるようになっている。「さわらないでください」ではなくて、「ためしてみよう」という表示があちこちに。ここぞとばかり必要以上にいじってしまう。
主に建築の成り立ちというか構造・構法的なところにスポットを当てた作品群。一般人向けの言葉でさわれる模型も一緒にあると、その辺の参考書よりは断然分かりやすい。今更ながら「そうだったのか」と思わされる作品も少なくなかった。つまり作品の主題に隠れてしまっていた仕組みや成り立ちのようなものが別の視点として見えてあらためて感心したのである。名建築は様々な視点で偉大なのだ。
本当に最近の作品などもあって驚いたのだが、どうやらこの展覧会は2008年から全国を回っているらしい。どおりでみんなに触られて年期の入った模型が多かった・・・。
丸ビルの玄関、巨大アトリウムの下で、たくさんの人が建築に興味津々というその構図だけでもうれしかった。

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2011年09月29日

講演会「挑戦する木造建築」に行く

先ほど聞いてきたNCN+MISA主催の講演会「挑戦する木造建築」NCNというのはSE構法という木骨構造システムを全国展開する企業で、MISAというのは構造家池田昌弘氏が設立した構造設計者の育成スクールである。木造建築の、それも金物工法を基本とした構造にスポットをあてた講演会というのも珍しいのではないかと思う。
はじめにSE構法を開発した播繁氏の「今、木骨構造がおもしろい」という基調講演。実は播さんには木の建築賞という事業に関わる関係でお世話になっている。が、実はこうして播さんの作品を少しではあるがまとめて見たのは初めてだった。鹿島建設で定年まで勤めたあと60歳で独立した重鎮。組織系の事務所との仕事が多かったようだが、あらためてすごい仕事をしてきた人だと思う。そのチャレンジ精神と探求心は見習わなくては。

そのあとは播氏、池田氏、NCN社長田鎖氏、元JT編集長豊田氏によるディスカッション「木構造の可能性」。播氏、池田氏は意外にもディスカッションでの登壇は初めてとのこと。なるほど、聴衆がハラハラさせられる討論会ではあった・・・。NCNさんには木の建築賞で協賛もしてもらっていて、昨年は播さんに加え池田さんにも選考委員をお願いしていたから、そんなエピソードも紹介された。木の建築賞では伝統工法VS金物工法という構図があるが、今回は「金物いいじゃないか」の人たちが集まっているからかそこまで議論は盛り上がらず。播さん、池田さんともに基本チャレンジャーだからなあ。

しかし3.11のあと構造設計者として何を考えなければいけないか、あるいはシステム化ということと挑戦=特殊性ということをどう考えるか、これらは今後も大いに議論していかなくてはならないと思う。

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2011年08月31日

「家の外の都市の中の家」展に行く

展覧会のことばかり続いてます・・・。
東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「家の外の都市の中の家 Tokyo Metabolizing」へ。2010年第12回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館の帰国展である。東京という特異な都市を可視化し、巨大な都市の中の小さな住宅の視点で、これからの可能性までを検証している。

やはり一番興味深かったのは1/2スケールで作られたふたつの建築。恐らく今後体験することのないスケーリングなのではないかと思い、これは体験しておきたいと足を運んだ次第である。1/2はもちろん原寸とも違うのだけど、ほぼリアルな空間の体験ができると言っていい。特に森山邸では、建物の隙間や窓から何が見えて何が見えないか非常に良く分かった。それと模型の中に模型が置かれている不思議。小物達の出来がかわいらしく、決して事前に実物はつくれない「建築」であることは分かった上で、果たしてこれは模型なのだろうか、建築なのだろうか?虚なのか実なのか・・・?

総じて「住まい」は都市に対して開かれるべきだと、積極的になにかしら関係性を持つべきだと説いていて、「ああ、大学で学んだ通りだ〜」と目を細めたりする。出品作家のヴィジョンというか哲学は相変わらず揺るぎがない。北山氏の言う「外壁を全て透明にすることで建物間の隙間を取り込むことができる」というのはなるほどと思う。見えたり見られたりということだけが透明の意味ではないのだ。
空地や権利が細分化され、網の目のように広がる都市の隙間。その意味を積極的に捉えることがこれからの都市を考えることなのかもしれない。
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