2013年03月25日

ふたつの展覧会

お台場の「HOUSE VISION展」とパナソニックミュージアムの「日本の民家1955年」へ。どちらも会期終了間近であったが、同じ日に行ったのが良かったのか悪かったのか、対照的なふたつはお互いの特徴を際立たせた気がした。
かたや未来の生活を志向した実験的な建築の提案。かたや建築写真家二川幸夫が若き日に残した民家の記録。こう書くと前者は前向きで後者が過去と思われるかもしれないが、自分にとっては全く逆だった。
「HOUSE VISION」で見たのは昨今語られている提案を具体的な形に落とし込んだものだった。そこにあるのは高揚感というよりは既視感。それに対して「日本の民家」で見たものは、知っていると思っていたものが実は知らなかったというような絶望感。圧倒的な美しさ。そしてこんなにも偉大な人物が亡くなったのだという実感と喪失感。
ご冥福をお祈りいたします。

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2012年03月23日

長谷川豪展を見に行く

おなじみギャラリー間の「長谷川豪展 スタディとリアル」へ。明日までの会期・・・。
ついに年下の建築家がギャラ間で展覧会をするようになった。
自分もいい歳なんだという寂しい気持ちとがんばらねばという気持ちが混在する。

彼のデビュー作はSDレビューで見て衝撃を受けたのを今でも覚えている。とても大きな模型で、通常あまり注目されない小屋裏を広く光で満たした不思議な体験のできる家だった。森の中では開放的にしがちなのを違った視点で木々との関係をつくっている点、ひっそりと主張しない建ち方に好感を持った。
その後の桜台の住宅ではテーブルを大きく、五反田の住宅では扉を大きく、この人は「何かを大きく」つくる人だと勝手に解釈していた。確かどこかで、異様な建ち方にならないように気を付けている、というようなことを言っていたと思うが、それらの作品も一見派手ではないように見えて実は大きな個性を備えているのに注目が集まったのだと思う。いわゆる「分かりやすい建築」だ。
展覧会でも分かりやすい言葉とストレートな建築への姿勢は見る人の心に響く内容だった。各展示室に1/1スケールの建築(模型)が出現しているという建築展は未だかつてない。石巻の幼稚園へ通い、展覧会を通してなにかできないかと考える発想の柔らかさと行動力。
最近の作品は決して「異様に見えない」とは言えなくなっていると思うけれども、それも試行錯誤して苦しんでいるってことだとオジサンとしてはうれしいんだけど。これからの活躍がとても楽しみな若手建築家であることは間違いないです。

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2012年01月16日

「建築、アートがつくりだす新しい環境」へ行く

1/15(日)までの建築展の最後、東京都現代美術館の「建築、アートがつくりだす新しい環境 -これからの”感じ”」へ。この会期終了直前に行くという悪い癖はどうにかならないものでしょうか。

妹島和世と西沢立衛のSANAAが企画、展示構成を手掛ける展覧会だけあって、SANAA関係者展みたいな気もする。ジャンルや世代も多岐にわたるが、建築勢は完成形よりはプロセスやスタディ模型を見せるものが多く、アートに少しでもすり寄ろうという意図が見えた。特にスペイン勢建築家が多く内容も興味深かった。

石上純也の展示はまたしても「メンテナンス中」。彼のはいつも展示中に壊れてしまうのだが、彼の作品特有で残念と言うよりはおかしかった。
インドのスタジオ・ムンバイやバーレーン文化省、そして近藤哲雄他の作品は、いずれも妹島和世が総合ディレクターを務めた第12回ヴェネツィア・ビエンナーレで話題になったものである。こういった形で日本においてそれらの作品に触れられたことは貴重だった。屋外展示されていた「Cloudscapes」は箱の存在感もよかったが、やはり人工雲を突き抜けて歩くという初めての体験がおもしろい。この雲をつくり出したのはクライメート・エンジニアと言われる建物内の気候を担当するドイツの専門家集団。こういう立場の人は今後様々なところで必要になるのではないでしょうか。

エントランスホールでは「失われた街」という大震災で失われた沿岸部の模型復元プロジェクトの展示。ギャラ間での展示は見逃してしまったから、ここで見られたのはよかった。まっ白な失われた街がものも言わずに、それでもなにか我々に訴えているような気がしてしばし呆然としてしまいました。

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2012年01月14日

メタボリズム展に行く

今度は森美術館で行われている「メタボリズムの未来都市展」へ。今回がメタボリズム初の展覧会とは知らなかった。宣言から約50年。今回これだけ包括的に行ったのはかなり意義のあることではないでしょうか。

5時間くらい会場にいただろうか・・・、とにかく内容の濃い貴重な展示だった。そして60年代当時の社会的な高揚感や建築家達のエネルギーやパワーに圧倒されてしまった。自分ではなんとなくメタボリズムを分かった気でいたが、何も分かっていなかったのだ。今更と言う気もするが、浅田孝という建築家をよく知らなかったし(浅田彰の叔父)、もっと言えば黒川紀章や磯崎新や大谷幸夫といった巨匠達の巨匠たる所以がようやく納得いった感じさえした。榮久庵憲司といえばインダストリアルデザインの人だとタタカをくくっていたら、「道具」から派生して建築や都市のビジョンをここまで描いている人だとは知らなかった。震災復興においてもとても尽力している人である。
メタボリズムのメンバーが1960年の世界デザイン会議においてメタボリズム宣言をしたとき、彼らは軒並み今の自分より若い。黒川紀章なんて若干26才、まだなにも作っていなかったそうである。そして無償で自分たちの理念を表現するべく圧倒的な未来の都市像を訴えていく。戦後日本の高度成長期の夜明けと言えるだろうが、皆が一丸となってある方向へ向かって走っていたと想像できる。

展示は歴史的な背景や、所謂メタボリストメンバーでなくともその理念や方向性を持ち合わせた人、作品、プロジェクトを取り上げて、深く分かりやすく解説している。建築にとどまらす、デザインやアートといった領域にまで影響を及ぼしている。当時の図面や模型やスケッチはとても貴重なものばかりで、特に施工やインタビューの映像はこれから見られることはないかもしれないほど貴重なものだった。細かい模型とその構成・空間を思考し作り上げる能力にはあらためて脱帽である。特に1970年の万博は、今見てもとても新鮮なものばかりで、当時の社会的な空気と一緒に我々に訴えかけてくるものがある。
当時の計画が今に引き継がれ、海外などで50年越しの都市計画が実現するものもあるらしい。50年前の思想がいまだに有効で、かつその時の無償の努力と表現が今に実を結ぶことに驚くと共に感動する。そしてどうしても今の自分、今の日本と比較して、納得してみようと試みる。特に背景にある「国家」というものが現在とは全く違う存在になっているんだろうなあ。だとしても今この困難の時代だからこそ無視できない、もう一度真剣に向き合いしっかりと検証・分析し、受け継がなくてはならない部分がたくさんあると確信もしました。

最後のコーナーではメンバーによるシンポジウムの映像が流されていたが、近年では丹下健三、黒川紀章、そして菊竹清訓といった方々が亡くなっている。寂しい気持ちもしたが時代が変わるときなのだという思いも強くなる。シンポジウムではご健在だった菊竹清訓さんが退席するときに我々へ送ったメッセージをかみしめ肝に銘じよう。
「問題は展開する。決して分かった気にはなるな」
合掌。

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2012年01月11日

オルジャティ展に行く

前回書いてから1か月以上経ってしまった。なんとなく月に2回くらいは書こうと思っていたのに。
12月は年末で昨年は日本にとって大変な年だったし、自分にとっても飛躍のきっかけとなるべき年であったので、なにか総括したかったのだが・・・もう手遅れでしょうね。
年始のあいさつというのもずれている気がするので淡々と続けることを目標にします。

それからブログのタイトルが「めもていど」となっている割に、ここではちゃんと文章を書こうと意識している。というのもFacebookを始めてからメモ程度のことはそっちで記録しておくことが多くなったから。そこでブログの役割を考えて、やはりこちらではある程度考えた文章を発信しておこうと思います。

新年最初は東京国立近代美術館(MOMAT)で行われた「ヴァレリオ・オルジャティ展」
近年話題のスイス人建築家なので名前くらいは知っていたものの、どんなものをつくっているのかは実は全然知らなかった。
MOMATでの建築展はこれで3回目。ひとつのギャラリーを使った展示だし、個人展だからそれほど大きいわけではない。

とても興味深い展示だった。本人が意図したように会場を巡り図面や模型や発想源となる図版を見ていると、オルジャティの思考を巡っているようでいて自分の思考とも重なってくる。その共感を彼は「設計していること」だと言う。つまり展示それ自身が建築という行為なのだと。
この共感を可能にしているのはオルジャティ建築に共通する「なにもなさ」だと思う。あるいは「建築だけがある」。
写真やCGを見ていると「どのように見せるか」ということもかなり意識している人だと思うけど、とにかく無駄なものがない。こまごまとした生活や活動を想像させるもの、例えば文字情報や色や人間自身といったものが排除されている違和感。さらには環境やコンテクストといった建築の背景やベースさえないように見える。しかしそこには構造と素材と空間が力強く存在している。つまりそれを「建築だけ」と感じた。
彼の建築は骨太で、そこにわずかなずれや歪みが加えられていてちょっといやらしい気がしないでもない。しかしそのことが建築を強調し、建築を身体的なものにしているのだと思う。そして度々CGか写真か分からなくなったように、完成したものとプロジェクトで終わったものの境界がないような気もした。それだけ実際できあがっているものが抽象性を獲得しているのだ。
人や周辺を無視しているとか機能的でないという批判は容易いが、むしろそれらは全て建築に取り込まれているような気がする。なんでも取り込めるとき、残るのは建築としての強さなのだ。

スイスと言えばヘルツォークにズントー。しかしどちらでもないオリジナルで強い建築をつくる人がまた現れた(気付くの遅い)。とにかく一度身を置いて感じてみたい建築達だ。

帰りは林昌二氏のパレスサイドビルを拝んで帰る。あらためまして合掌。

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2011年09月30日

「アーキニアリング・デザイン展2011」に行く

UIA世界建築会議の東京大会開催に関連していろんなイベントをやっている。メインのイベントはほとんど28日くらいに終わってて、今日は丸ビルでやってる「アーキニアリング・デザイン展2011」へ。
歴史的建造物から現代建築まで、世界中の建築を模型で「楽しむ」展示である。「楽しむ」というのは建築展には珍しくさわって動かして試してみることができるということで、より一般の人にも身近に感じられるようになっている。「さわらないでください」ではなくて、「ためしてみよう」という表示があちこちに。ここぞとばかり必要以上にいじってしまう。
主に建築の成り立ちというか構造・構法的なところにスポットを当てた作品群。一般人向けの言葉でさわれる模型も一緒にあると、その辺の参考書よりは断然分かりやすい。今更ながら「そうだったのか」と思わされる作品も少なくなかった。つまり作品の主題に隠れてしまっていた仕組みや成り立ちのようなものが別の視点として見えてあらためて感心したのである。名建築は様々な視点で偉大なのだ。
本当に最近の作品などもあって驚いたのだが、どうやらこの展覧会は2008年から全国を回っているらしい。どおりでみんなに触られて年期の入った模型が多かった・・・。
丸ビルの玄関、巨大アトリウムの下で、たくさんの人が建築に興味津々というその構図だけでもうれしかった。

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2011年08月31日

「家の外の都市の中の家」展に行く

展覧会のことばかり続いてます・・・。
東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「家の外の都市の中の家 Tokyo Metabolizing」へ。2010年第12回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館の帰国展である。東京という特異な都市を可視化し、巨大な都市の中の小さな住宅の視点で、これからの可能性までを検証している。

やはり一番興味深かったのは1/2スケールで作られたふたつの建築。恐らく今後体験することのないスケーリングなのではないかと思い、これは体験しておきたいと足を運んだ次第である。1/2はもちろん原寸とも違うのだけど、ほぼリアルな空間の体験ができると言っていい。特に森山邸では、建物の隙間や窓から何が見えて何が見えないか非常に良く分かった。それと模型の中に模型が置かれている不思議。小物達の出来がかわいらしく、決して事前に実物はつくれない「建築」であることは分かった上で、果たしてこれは模型なのだろうか、建築なのだろうか?虚なのか実なのか・・・?

総じて「住まい」は都市に対して開かれるべきだと、積極的になにかしら関係性を持つべきだと説いていて、「ああ、大学で学んだ通りだ〜」と目を細めたりする。出品作家のヴィジョンというか哲学は相変わらず揺るぎがない。北山氏の言う「外壁を全て透明にすることで建物間の隙間を取り込むことができる」というのはなるほどと思う。見えたり見られたりということだけが透明の意味ではないのだ。
空地や権利が細分化され、網の目のように広がる都市の隙間。その意味を積極的に捉えることがこれからの都市を考えることなのかもしれない。
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2011年08月25日

パウル・クレー展に行ってた

ずいぶん前に行ったままになっていたが、一応思い出して「めも」しておこう。
7月いっぱいで終わってしまった東京国立近代美術館「パウル・クレー 終わらないアトリエ」である。
会期終了直前で土日は混むだろうからと平日朝一に行ったのにものすごい混みようでびっくり。日本では何度か展覧会してて大人気なんだそう。
パウル・クレーに関して自身そんなに詳しいわけではなかったが、一度見に行きたいと思っていたことと、実は今回会場構成を手掛けたのが芸大時代の同期ということもあって足を運んだ。

パウル・クレーの絵は抽象画と一言で言い切れない魅力がある。視覚的な愛らしさはもちろん、タイトル、背景、技法、そのトータルで人を惹き付けていると思う。特に興味深かったのは油彩転写という独特の技法。同じ物が複製できる手法かと思えばその実、決して同じ物には成り得ないその微妙な違いが美しい。
今回の展覧会が特徴的なのはクレーの作品がどのように作られているかに焦点を当てているところ。作品が並んだアトリエの写真を実際の作品の横で見せたり、技法ごとに作品を分類している。転写したり切り取ったり貼ったりという分類の仕方は、種明かしを見るようで分かりやすくて楽しい。・・・が、果たしてクレーが自身の作品をそのように見せたかったのかと言えばそれは違うかもしれない。
その会場構成はコンセプチュアルに過ぎるのではという懸念があったが、そんなことは全く気にならず、むしろ自由な作品との接し方が心地よかった。・・・人は多過ぎたのが傷だが。
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2011年07月04日

五十嵐淳展を見に行く

ギャラリー間で開催中の「五十嵐淳展 状態の構築」へ。北海道出身のだいたい同年代の建築家。事前に講演会を聞いていたのでもっと早く見に行きたかった。
最初この人が現れたときには、北海道という風土の特殊性がちょっと変わった建築を生み出しているのかと思った。つまりとてつもなく寒かったり広かったり、なにもなかったりと、都市とは根本的な事情が違うからとタカをくくっていた。しかしその後の作品を見たり今回話を聞いてみて、あらためて普遍的な建築を試行しているという印象が強くなった。たまたま北海道だったんだ、と。
もちろん北海道の風土がスタートだったのは間違いなくて、そのキーワードは「風除室」と「凍結震度」。それぞれ「バッファーゾーン」と「半地下空間」という言葉に変換できる。それらが光と風の取り入れ方、自然との関係性や空間の作り方という場面で、有効性と普遍性を獲得していった。全て1/10というスケールで浮かぶ模型を順番に眺めていると、その思考の流れが分かるようです。
五十嵐淳はまじめなコンテクスチュアリズムという位置づけでいいと思う。話し方も誠実で説得力があって分かりやすい。今時なかなか使えない「必然性」という言葉を使うこともそれを裏付けている。とても良い意味で、コンテクスチュアリズムはここまでできるんだという勇気をもらったような気がします。

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2011年01月31日

スケルトンドミノ展へ行く

芸大の時に研究室でお世話になった黒川哲郎先生が退官する。
それに合わせて退官展として行われたスケルトンドミノ[プロトタイプ]展へ行った。
久しぶりに訪れる上野の森は冬だからということもあるけれども、東京都美術館が改装中だし噴水も工事中で、ちょっと寂しい印象だった。

展示は黒川先生が初期の頃から現在に至るまでに手掛けられた作品の中でも、一貫して取り組んできた木構法についての事例を網羅していた。それは家具や小さな住宅から大空間の公共建築まで、とにかく多岐にわたる。
自分が芸大で黒川研究室を選んだのも、とにかくたくさんものを作っている人だったから。残念ながら学生時代に先生のものづくりの現場に触れることはほとんどなかったのだが、こうしていざ興味深い作品を目の前にしてみると、もっと図々しく教えてもらえばよかったと悔やまれる。
伝統的な木組みを現代的に展開させる構法。研究と実験を繰り返し法制化するところまで一般化するその姿勢は、目の前のことしか見えていない自分とはかけ離れた高みのヴィジョンだ。それは林業や産業、職人や地域の人々を巻き込んで変えていく大きな力である。たくさんのものをつくる中でのその姿勢に感銘を受ける。

実は卒業以来となる黒川先生が会場におられた。薄情な学生なんて忘れてたらどうしよ、と思ったらしっかり覚えていてくださってうれしかった。

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2010年11月08日

東京デザイナーズウィーク

招待券をもらったので神宮外苑で行われている東京デザイナーズウィークの会場へ。
一人で黙々と実務をこなしていると頭が腐ってくるので、こういうとにかく物事が動いているところへ身を投げることは大事です。

銀杏並木を抜けるとコンテナが並ぶアプローチでメイン会場へ導かれる。コンテナ展は単に中で商品や活動の説明をしている物が多くて面白くなくてスルーが多い。初めの頃はもっとコンテナというコンテクストの設定をどう飛び越えるかという試みの空間が作られていた気がする・・・。
中央にはドーム状のテントが鎮座し、周辺は学生達が作品展エリアが取り巻く。外周の企業やデザイナーが出展しているテントは中から見ると白い膜の天井がとてもきれいでした。

テント内を見て回ると外国人が多い。あちらこちらで外国語が飛び交って、あらためてみんな世界を見据えて活動しているのだなと感心させられる。なんだか英語くらいまともにしゃべれないと肩身の狭い思いがするほど。
それとやはりキーワードとして「エコ」が目に付く。こんなものまで再利用できるんだ、とか実はこんな素材なんだ、ということを「エコ」と言ってデザインソースにする。これひとつの方法です。
日本の現代美術を紹介する「ジャラパゴス展」は、その質の高さや視点に驚かされて面白い。

ちらちらと知り合いの作品なんかもあったりして、あー自分もがんばらなきゃ、と思って足早に帰って来てしまいました・・・。

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2010年10月13日

アタカケンタロウ展へ行く

リビングセンターOZONEで開催されたアタカケンタロウ展〜めくるめく豊富な建築へ。
芸大のときの同級生だが、この代は優秀くんが多すぎて困る。

行くと本人がほとんど常駐状態のようだったが、聞くとスタッフがしっかりと仕事をしてくれるから心配ないとのこと。やはり人を雇って自分は外に出るべきかなと思う。
会場は細長いスペースをぐるりとまわる構成だが、どう見せるかということがすごく考えられている。とにかく大きな写真をバンと見せるのではなくて、小さな写真をシークエンスが連続するように、配置も様々で時には額縁までもデザインしている。人の「視点」をデザインソースにしているので、全体を貫くルールやコンセプトは見えにくくてもいいのだと。なるほど、どう見えるか、といった現象を主題にしたプロジェクトが多い。しかし自身で言及しているということは、ルールやコンセプトもかなり意識しているのだと推測する。敷地図が刺繍されたテーブルクロスはかわいい。

実現しなかったものも含めて総じて「楽しい」ものが多かった。本人も来る人みんなに説明したくて仕方ない。モックアップもあるし体験もでき、元気にさせられる展示でした。

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2010年08月16日

建築はどこにあるの?展に行く

東京国立近代美術館の展覧会「建築はどこにあるの?7つのインスタレーション」へ。
またもや会期が終了したものの紹介になってしまった・・・。

国立美術館での建築展は珍しいが、今回はさらに多世代の日本人建築家が出展しており、タイトルにあるとおり建築の紹介ではなくインスタレーションを行っている。作品のプロセスを紹介したり、会場内で撮影した写真を投稿できたり、様々な試みがなされた展示会でもある。

当日は暑かったが、北の丸公園の深緑を背景に建つ谷口吉郎設計の美術館はなんというか品が良く、周辺を散策するのも苦にならない。
展示で印象に残ったのは中村竜治氏の「とうもろこし畑」。体験したことのない不思議な空間というか光景が現れ、その存在の仕方の希薄さと目で見る存在感の大きさのギャップに驚かされた。繊細な材料と構成には確かに構造が存在し、これは建築家だからこそ実現できた作品と発想ではないかと思う。

昨今の建築家は美術との境界をものともせず、様々な領域を自由に行ったり来たりする人が多い。実際の建築自体もそれらの影響を受けたものが目に付く。そういう意味で建築の現代性を見事に捕らえた展覧会であったと思う。

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2010年06月21日

竹原義二展に行く

ギャラリー間で開催中の竹原義二展 素の建築へ。
いつも会期終了直前に行くので、ブログに書くときには終了しているものばかり・・・。

とにかく圧倒された展示だった。図面の美しさ、空間の緊張感、素材の力強さ。こういうのを「切ったら血が出る建築」と言うんだろう。ひとつひとつの作品に注入されているそのパワーには、ひるんでしまいそうになる。
それゆえ一番驚いたのはその作品数。30年間で150作品はおよそ年間5件のペース。これは驚異的な数に思われた。難波和彦さんの「箱の家」シリーズが15年間で130くらいだと言われればそうかと思うけど、竹原氏がこの質と内容(つまり注がれるパワー)でつくっていることを考えると驚きだ。
30年もつくり続ければそのディテールや工法がストックされても良さそうなものだが、全ての作品にまさしく「無」の状態で向き合っていて、既視感のようなものも全く感じられない。手書きだから?

昨今の建築は「軽い建築」「弱い建築」が主流を占めている。竹原氏曰く「力強い建築をつくりたい」。
自分がそっちへ行くかどうかは別として、その真摯な姿勢は人々を寄せ付ける魅力となり、作品の魅力ともなるのだ。
身の引き締まる思いで会場を後にしました。

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2010年06月01日

ティンバライズ建築展へ行く

表参道スパイラルで開催の「ティンバライズ建築展・都市木造のフロンティア」へ。1Fスパイラルガーデンの展示は隣接するカフェや雑貨屋さんと一体のオープンな場所で楽しい。

今回の展示は表参道を中心に仮想の木質都市をつくりだし、木造建築の可能性をさぐるというもの。率直にとても楽しい展示でした。

まず目に飛び込んでくるのは燃えない木で被覆されてものすごい太さになった柱梁の実物大大架構。見慣れないスケールアウトしたものだけど、どこか神社仏閣の骨太な空間に似た気持ち良さがある。
その他、木を中身の詰まった塊にしてみたり、細分化して組み合わせたり、曲げたり折ったりと、様々な可能性から木の使用方法を検証し、具体的な建築のデザインに落とし込んでいる。
興味深かったのは何年か毎の建替えを前提とした集合住宅の計画。他に比べるとインパクトに欠けるしアイデアがうまく具体案になっていたとは思えないが、昨今の100年だか200年だか住宅などとは全く逆の発想で批評性があった。
日本人の精神性も本来こういう考え方を拠り所としてきたのではないだろうか。

総じて感じたことのひとつは、基準法の改正であらゆる木造が可能になったというが、決して緩和されたのではないということ。「これでもいいよ」という法律ではなく、「ここまでやるならいいよ」という法律なのだ。鉄骨と組み合わせたり、木を不燃化したり、実験を繰り返して認定を取ったり・・・。忍耐はもちろん、時間とお金も必要で、ここまでやるかと思うこともしばしば。
しかしこういう人たちの努力で変わっていくんだろう。

もうひとつは木質建築の可能性の大きさ。とにかく木造でつくった方がいいという考え方には全く賛成しないが、鉄骨やコンクリートに比べて作り方や表現においてはるかに可能性があるように思えた。
若手建築家や大学の研究室による様々な木質建築の提案はアイデアの競演となって見ていて楽しい。それはひとえに木という素材の持つ様々な性質によるものだろう。

しばらく余韻の残る展示会。
なんと10日程しか開催していないみたい。もったいない。

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2010年03月16日

展示会に行く

集合住宅ネタが続く。
新宿で「デザイナーズ集合住宅の過去・現在・未来 展」に立ち寄る。
過去のものを様々なパラメーターで整理して見せたり、世界中の特殊な例を日本独自の不動産チラシとして紹介しているのは、視点を変えて見られるのでおもしろい。会場構成やパネル・アイコンのデザインもかわいらしくてよかったです。

建築家への、どうして「コンクリート打放しなのか」「ガラス張りの浴室なのか」・・・などといった問いは、企画側であるディベロッパーの自虐的質問にも聞こえる。こういった記号化されたアイテムがあれば「デザイナーズ〜」と認定されてしまうようで、やはり建築家はそういう枠組みに入れられることに皆さん抵抗があるようです。
しかし、どの回答も教科書的で、理屈では分かっても説得力に欠けるものが多い。ならどうして「普通の」集合住宅はそうしないのか?
いっそ、どれも「かっこいいから」と言ってくれた方が潔いし分かりやすい。

気になったのは「DINKS向けだから」とか「SOHO向けだから」とか、集合住宅のカテゴリーでしか通用しない理屈を述べざるを得ないとき。
例えばの話「コンクリートの打放し」や「ガラス張りの浴室」は大家族が長く住むのには向かないので、戸建ての設計ばかりしている自分にとっては、なかなか採用しにくいことが多い(かっこいいからやりたいけど)。でも集合住宅に「大家族が長く住む」という選択肢があってもいいと思うのです。

DINKS、SOHOといった多様な生活形態が既存の枠組みでは納まりきれなくって、それに便乗してかっこいいデザインが実現しているのではないか。既存の集合住宅の枠組みを広げたい、飛び越えたいと思っていたのに、気がつけば新たに「デザイナーズ〜」というビルディングタイプを作ってしまった・・・。そんな皮肉を感じました。

・・・なんて言いながら、まずは自分が集合住宅を設計することです。

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