2014年04月04日

大宮前体育館を見学

荻窪小学校跡地にオープンした大宮前体育館を見学に。
天気が良くなったので明日の花見下見を兼ねて自転車を飛ばしました。
この体育館は2008年に行われた杉並区のプロポーザルコンペで、なみいる強豪を抑えて青木淳さんが勝ち取った物件。いくつかのサークルが敷地内に分散し、建物を地中に埋めてボリュームを抑えた案でした。

実現したのは地下に埋め込まれた大きめの2つのサークル。ダイナミックなアプローチとは言えず、体育館は入れ子状で完全に周辺環境とは隔絶された四角いものでした。・・・うーん残念。
プロポーザルコンペはだいたいそのまま実現するわけではないから、杉並区や運営サイドや周辺住民などなど、関係者とのやりとりがたくさんあって苦労したことは想像できます。しかしどういう経緯でこのような形に落ち着いていくのか、経験のない自分としては興味があります。青木さんも相当歯がゆい思いをされたのだろうか。現場のブログはこちら

近所だし体育館や屋内プールなど、子供を連れて行って利用するかもです。

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2012年05月31日

沼袋の集合住宅OHに行く

谷尻誠さん設計集合住宅オープンハウスへ。中野の沼袋だったので自転車で。着くと入口まわりに入場待ちの人だかりができていてびっくり。告知もかなりオープンで入居募集も兼ねていたそうだから仕方ないか。
公開しているのも一部の部屋だったが、どの部屋も統一のコンセプトが明快にあって分かりやすい。外周部は構造体以外をガラス張りのオープンな空間として、奥まったところに一段上がって小さく囲まれた「内部屋」を有する。「内部屋」自体は様々な用途を想定しているのに対して、外周部は廊下にしては広く居室にしては狭いような微妙な広さの場になっている。開放的で外を感じられるので、サンルームとか縁側とかテラスと言ったらいいだろうか。・・・別に名前を付ける必要はないか。
谷尻氏の作品によく見られるプランニング手法ではあるが、氏の「住む人の行為によって様々な性格の空間が生れてきます」というビジョンにはとても賛同できるし、実際にそのようなとても自由な場に成り得ていると思った。なんだか分からない場は想像力を刺激するのだ。住むことに前向きになる。
実際この外周部を体感してみると、夏暑くて冬寒そうとか、ちょっと見え過ぎるとか、同じ設計者として思うところもあるけれど、そういったことがとりもなおさず「外」感となのだと思う。季節のよい時にはきっと気持ちいいに違いない。そしてそこから逃げるために担保された「内部屋」がより一層意味のあるものになるのだ。
上階へ行くほど先細る外観も、構造的な合理性を想起させつつ既視感がない存在感。以前見た住宅よりはとても良かったという感想です。

関係ないけど、現地で会った建築家の友人河内くんが、うちの子と同い年の娘さんを連れてた。そういえば以前も他のOHに連れて来ていたし、自分の現場にも連れて行くそうだ。こうやって知らないうちに建築家の子は建築家になるのだろうか・・・。うちの子ももっと色んな所に連れて行こうかな。もっとも河内は仕方なく連れて来てるらしいけど。

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2012年02月15日

岡田自邸について

芸大時代の友人、岡田雅人くんの自邸が完成。たまたまですが自邸ネタが続く・・・。
といってもこちらは協力という形で関わった物件なのでちょっと特別。様々な苦労の末にようやくお披露目となったこの日、感慨深いものがありました。

彼がぼくの所にやってきたのは2年前の夏の終わり。すでに基本設計を終えて実施設計中で、これからどうやって進めるかという段階だった。事務的なアドバイスをしたり業者を紹介したりという程度の協力で、思い返すとその時から今の今まで、彼のその設計やデザインに対してまともに批評したことはなかったと思う。
それは意識的にだと思う。何か言いたくてウズウズしてくる職業病を意識的に。建築家が「自邸」を設計するのに、もう一人の建築家が口を挟むものではない、と勝手に思っていた。思う存分好き勝手に好き放題やらせてあげるのが一番いいに決まっている。自分がその立場なら絶対にそうだ。
もちろん彼はそこまで考えていなかったかもしれない。だからこそ「もう一人の建築家」のところに相談にやってきた。様々な覚悟や不安を抱えていたに違いない。
ここで「めもていど」の感想を書き留めておこうと思う。面と向かって言わないでこんなところでいうのも卑怯だが、ちゃんとした文章にしておきたいし、それで伝えるのも悪くないだろう。実はオープニングでの来客の反応があまりに好意的なものばかりで、嫉妬すると共に誰かしら批判的なことを言う人がいてもいいのではないか、という思いもある。でないと今後の岡田くんにとっても良くないのではないか、彼にはこれに満足しないでもっと試行錯誤を繰り返して更に建築の深みにはまって欲しい(笑)。一番身近にいた自分がその役割をしてみよう。・・・って本当に偉そうですみません。
以下実際に建物を見た人じゃないと意味が分からない内容と思いますがお許しを。

建物は世田谷の小さな商店街の一角に建つ3階建てのRC造。1階を設計事務所とした兼用住宅である。決して広くはないそれぞれのフロアを細分化し、様々なレベルを設けてアーチの開口部でつないでいる。「境界の家」と名付けられたとおり、都会と郊外の境界とも言える立地では見る方向によって異なる景色が取り込まれ、開口部という境界を通して様々な空間とシーンが連続して見えるとともに、体験できるようになっている。

ところで、大学院だけ芸大に行った自分と違って、生粋の芸大生の彼はとにかく絵がうまい。ご両親、お兄さんは音楽家で美術品の収集が趣味という芸術一家だ。彼自身は普段イラストやグラフィックといった仕事が多く、今回の自邸はほとんど処女作と言っていいくらいの建築作品である。だからというわけではないかもしれないが、所々で自分とは思考の仕方が違うなあという思いがあった。
スケッチブックにさらっと書く絵がこれまた芸術的で、OHでずらりと並べられたものを見ても思うのが、とにかくアイレベル(人の目線)の視点によるパースが多いということ。つまりそこに立ったときにどう見えるか、何が見えるか、おそらく彼の頭の中はそのことでいっぱいなのだ。
それに対して自分はもっと俯瞰的に見ている。スケッチブックにあるのは平面図ばかり。つまり人がどう動くのか、場所がどうつながるのか、そういうことばかり考えている。
もちろん彼も平面図を書くし、自分だってパースを書くけれども、その比重が圧倒的に違う。どちらがいいとは端的に言えないけれども、その違いが自分のこの作品に対する批評になる気がしている。

一番感じたのは場所と場所の関係をもっと身体的につないだ方がいいのではないかということ。これもそもそも意識の違いで、彼はおそらく「境界」において「つなげ方」よりは「分け方」を思考しているのではないかと感じた。「つなげ方」と「分け方」なんて結局同じことになるのかもしれないが、ようするにアプローチの仕方が逆だということ。
1階の事務所スペースと2、3階の住居スペースは一度外に出てからつながる形で完全に分離しているし、2、3階もフロア同士は分離して階段部分でのつながりしかない。段差があるのでそれが各階での天井高に影響し合ってつながりがあると言えなくもないが、段差はどちらかというと「つなげ方」より「分け方」を検証した結果だろう。隣り合うスペース同士も見え方という意味での「つなげ方」は存分に検証されていると思ったが、空間的・機能的に、積極的につなげることまで考えてはいないようだった。
もっとも彼は逆に意識的に分けたと言うかもしれないし、その分節には理由があるだろう。しかしそのことによって可能性が失われる懸念もある。つまり分節されている場所と場所が、あるときには一体になるとか、違う使われ方をするとか、もっと言えば1階の事務所さえ住宅になるような「つなげ方」があってもよいのではないか。それは日々の建築の使われ方としてもそうだし、将来的な変化などに対する可変性(フレキシビリティ)とか住まい手が手を加える余白という意味でも。

また仕上げの色に関することも興味深かった。カラフルな色を使うわけではないが、フローリングの色を濃淡で分けたり、壁や天井の色を白、黒、グレーと塗り分けている。その色の違いも「境界」をつくるひとつのツールになっているわけだ。このことは特に「つなげ方」よりも「分け方」を考えていることの現れだろう。
自分ならもっと建築的な要素、例えば壁とか段差とか天井高とか、あるいは素材そのものとかそういったものだけで分節する。建築を成立させるためにどうしても出てきてしまう要素で、できれば分けたくないがどこまでつなげられるか、あるいは緩やかに分けられるか、を考える。もちろん色だって立派な建築的な要素なのだけど、それは平面図的な思考ではなかなか出てこない、パース的な思考で見えてくるものだと思う。
現場で色を決めるときの彼には隣で見ている限りあまり迷いがないように見えた。自分なら色を付けるかどうかを迷うところを、もうすでに色を付けることはその徹底した思考の中で決定済みだからかもしれない。
この建物はコンクリートの打放しで、荒々しい構造がそのまま見えるというデリケートな仕上げであるが、どうしても汚くなってしまったところは表面的に「補修」が施される。自分としてはこの「補修」が「補修したと分かる」くらいきれいだとなんだか気持ち悪くて、この現場でもその点にはこだわって指摘した。しかし今思うと彼の方はそこまで気にしていなかったかもしれない。最終的にどう見えるか、きれいに仕上がることが大事であって、「補修したと分かる」という背景や意味するところはそれほど重要ではないのではないか。
その証拠にボードで作った天井や扉にコンクリート風の「絵」を書いてそれを仕上げにしていたりする。一目見るとコンクリートだと思うので、叩いてみると軽い音がしてびっくり。もちろん単純に「おもしろい」とは思うけれども、自分にはできない離れ業だ。しかし彼には実際にそれがコンクリートである必要はなく、コンクリートに「見える」ことが大事なのだ。自分が背景を読み込む経験的な思考だとすると、彼の場合は現象的な思考と言える。

しかしながら、こういったことを当初から完成にいたるまで口に出さないで本当によかったと思っている。実際に仕上がって体感してみて、このようになるとは自分が想像できていなかったことが分かった。空間体験のシークエンス、あるいは連続する見え方、タテヨコのプロポーション。とてもきれいに見えてそして気持ちよく感じられた。特に3階の南側に向けて、手前から奥へと段々と視線が抜けてゆくその経験はすばらしかった。
実は自分は可変性や余白を担保しないと作れなくなっている。積極的な意味で前向きにそこを目指している自覚はあったが、それで「逃げを作って」いるつもりが文字通り「逃げ」ていることになっていないか。レベル差をつくること、強い壁をつくること、あるいは色をつけることに抵抗を持つようになってしまった。しかしそれは経験的で消極的な理由によるところも大きく、それによって失っているものもあるのだということが分かった。一体誰が経験的な思考でもって見るのかと言えば、ぼくら建築関係者だけなのだから・・・。
岡田くんの場合は彼の知識や経験という意味で、経験的思考には成り得なかったのかもしれない。しかしそれゆえにできたことは大きく、その初々しさや情熱、そして正直にまっすぐに自分のつくりたいものに没頭している姿を見て、勇気づけられました。

感想や批評と言うよりは自分と比べるうちにとりとめのない反省文のようになってしまった・・・。しかしこういった形でもう一人の建築家の設計、しかも自邸の設計に関われたのは幸運だった。そしてなにより良い経験になったと思っています。
どうもありがとう。そしておめでとう!
これから更にすばらしい家になることを祈っています。

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2012年02月10日

建築家自邸OH

以前にもOHに行ったのをブログで紹介した先輩である荒木潤二さんの自邸が完成。
場所は三鷹の住宅街。息子のスイミングプールの帰りに同伴でお邪魔してきました。

前から自邸設計のお話しは聞いていて、なにやら色々な葛藤があったようである。
家族や施工業者からの期待。
「すごいチャレンジをするのではないか」
「とんでもないものができるのではないか」
でも施主の顔が見えるどころか一番身近な存在である家族を道連れに、一体どこまで冒険なんてできるのか。
”建築家の自邸”ということの難しさである。

でもこれは普段の設計でも変わらずテーマになることだ。
自邸だからといって周りからのプレッシャーを気にせず、自分の良いと思うものを追求してつくる。
自分ならそれにちょっと冒険をプラスする程度だろうか。
・・・なんて偉そうに言って怒られそうだけど。
その立場になったらあたふたしそうだな・・・。というかその立場にいつかなりたい!

荒木自邸は結論として特に冒険することにテーマはなかったようだが、いかにも本人の人柄が現れ、そのこだわりや葛藤までも表現されているようで素直な家だった。
材料や納まりのこだわりとちょっとした遊び心。
なにより「人がたくさん集まる」ということに主題が置かれ、当日沢山の人で溢れかえっている様子を見て、素敵な家だと思いました。

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2011年11月30日

狭山ひかり幼稚園OHに行く

もう1か月前になりますが、一応行った記録としてメモ。埼玉県狭山市の幼稚園のオープンハウスである。
設計はまたもや芸大時代の同期、アタカケンタロウくん。本人が通ったという幼稚園の建て替えを設計できるなんて。
相当な苦労と努力をしたと聞いていたけど、やりがいがあったことと想像します。

最初に見た印象は思ったより小さい、ということ。雑誌などで見ていたよりこぢんまりしていて、利用者が子供でスケールが小さいから相対的に大きく感じたのだと、自分なりに納得してから中に入った。
入ってすぐ目に付いたガラスと引戸の納まりをしげしげと見ていたら、「やっぱそこ、気になる?」とアタカ氏。みんなそこを見ていくそうで、建築家の病的とまで思えるような習性を指摘されたようでバツが悪くなった・・・。
内部は外から見た印象と同じく思ったよりもこぢんまりしていて、子供の空間と言うことを抜きにしてもそれはほどよいスケールだと感じた。各教室は、それぞれ異なる断面形状で園庭と裏庭に向いて開き、それらの教室を2本の通り道が貫く構成。断面形状の差異や開口部の設け方、仕上げの差異と統一感、それらが構成の決定ルールの中で葛藤を繰り返し、様々な関係者の中でよくぞまとめたものだと関心した。同じ設計者としては設計上定めたルールを逸脱している部分に関しては、それを非難するわけではなくどうやって新たな解釈として自分自身で消化したのか、が気になりそれとなく聞いてみた。もちろんそれなりの理由があって新たな解釈も聞けたのだが、それらを抜きにしても子供達の空間として良いものを見せてもらった。

芸大の友達はみんな第一線で活躍していて、しばらく会わないと遠い存在に感じてしまうのだが、話をしていると自分と同じ強さと弱さを感じられて親近感が増す。彼にとってどうだったか知らないけれども、ちょっと安心して帰ってきたのでした。

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2011年10月21日

中野坂上の住宅OHに行く

芸大時代の同期河内泰一くんが設計した中野坂上の住宅を見に行く。中野坂上は独立してしばらく働いていたところなので比較的馴染みがあって朝一番自転車で赴いた。2世帯住宅でかつアトリエがあるという2階建ての四角い箱だが、パッと見て通常よりも大きく感じました。
それもそのはず特に2階の天井高は3.3mあって、しかも窓や建具がすべてその高さでつくられているので、とにかくその垂直性というか高さが強調されている。さらに全てがグレー1色で仕上げられた空間は、静けさというか神秘的とまで言えるような雰囲気を作り出していたと思う。河内くん曰く「暗い建築をつくりたかった」というのがなんとなく分かる。予算の関係でいろいろなものをそぎ落とし、「天井の高さ」ということにだけこだわることで生み出せるものがあるのだな。
プランは中心にリビング的な場所をつくり、収納を用いて周囲に諸室をつくるような構成。引戸もガラスも収納も全て天井まであることが空間のつながりも演出している。しかし、それにこだわることで失われるものもあったと思う。ここでもいつものテーマが頭をよぎる。なにかを犠牲にしてでもなにかにこだわり「分かりやすい」建築をつくること。う〜ん、建築はとてもたくさんの「こだわるべき」要素があって(ありすぎて)、どうバランスするか、それが魅力だという気もするのです。

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2011年06月15日

深沢の集合住宅OHに行く

世田谷区深沢で若松均さん設計の集合住宅オープンハウスへ。自転車を飛ばして30分くらい。浜田山、永福町あたりから下って世田谷を縦断し駒沢公園へ抜けるルート。なかなか高級住宅が多くて楽しいです。
4階建ての集合住宅。といっても全体は6つの塔に分節され、各々は30平米ほどの床を積み上げたような形式。さらに最上部の床はほとんどロフトと言っていいくらいのスペースしかないので、3階建てなんだけど4層分を贅沢に使っている感じ。
一番の特徴は各住戸で小さな床がレベルを変化させながらつながっているところだろう。当然天井高も変化して、ちょっと低いと思いきや、突然高く開放的になって楽しい。また、生活をイメージするときに「部屋」という思考に陥らなかった。つまりある程度の広さがあったり空間的に仕切られていると、「ここはどういう(だれの)部屋にしようか」という思考が働くけれども、これだけ小さな面積でレベル差を設け、しかも空間どうしはつながっていると「ここで何をしようか」という思考にならざるを得ない。その場で何ができるか、何が置けるか、思考がより生活の行為に細分化される。この方が生活は楽しいに違いない(楽じゃないかもしれないよ)。
細部の納まりなどに関しては??な部分がかなり多かったけれども、最後に一般客向けチラシに明記してあった各戸床面積が思ったよりも狭くて、広く感じさせるということでも成功しているのではないかと思った。

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2011年04月13日

深谷の住宅を見学

以前一緒に仕事をしていたTKO-M岡村くん設計のOHへ。
埼玉県深谷市というところですが、思っていたより遠いですね・・・。

1階が飲食店で2、3階が2世帯の住宅。道路から少し入ったところで、黒い三層のボリュームと木質アクセントが存在感を作っていました。
事務所を分けてから本格的に見ることになった元相方の設計。分離したことで自分が失ったものがここにはあるのかもしれない。・・・なんて大げさなことではないか。

随所に懐かしい納まりやこだわりが見て取れる。それはこれまでの設計から引き継がれた安定感というか安心感である。反面自分にとっての驚きや意外性というものが見えてきたということではなかったので、その点はちょっと物足りない気がした。

ある意味では自分を外から見たということになったのだろう。
これからもお互い切磋琢磨していきたいものである。

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2010年10月29日

木の建築賞

以前視察に訪れた小田原で、木の建築賞二次選考会の本番が行われた。一次選考を通過した20組くらいの応募者が各々プレゼンテーションを行い、一日をかけての討論会と審査になった。これは疲れる・・・。

この木の建築賞は全国を4つの地域に分けて行われるが、今年は関東甲信が対象だったこともあって洗練されたものが多かった。反して地産地消とか地域に根ざして、といった作品は当然ながら少なくなる。
「木の建築」といっても様々な作品や活動が集まり、選考委員も意匠・伝統・構造・材料・林業・などなど様々だ。大きく分けて2つの価値観が併走していると思っていて、ひとつは「伝統・地域」系。もうひとつは「先端・技術」系。分かりやすく言うと「地域の木を無垢で使って金物も使わないでつくる」系と「木の新しい使い方を模索してかっこいいものをつくる」系。かなり大ざっぱに言ってしまったが、実は前者のような価値を評価する賞やコンペって意外に少ない。そういった意味ではこの賞は非常に意味があると思う反面、その様々な価値観の建築を集めて同じ土俵に乗せるというのはなかなか難しいことなのである。
現地審査を行う三次選考に進む10作品程度がなんとか選ばれたわけだが、自分がいいと思うものが意外に通らなくて密かにショックを受ける。

次の日は小田原市内の木の建築を散策。清閑亭という侯爵の木造別荘にてシンポジウムを行い、小田原まちあるきの拠点にするべく興味深い話を聞いた。小田原は様々な近代の木造邸宅が残され、その文化性の高さと可能性には注目していきたい。

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2010年09月30日

等々力の家を見学

友人の事務所で設計した住宅の現場を見に行く。
世田谷の住宅街は立派な家が多くてきょろきょろしてしまう。

お目当ての住宅はさほど広い敷地ではなく、目一杯の床面積を確保するべく2階建てなのにほとんど3階に見える。大きな土間の玄関が水回りまで続き、床のレベル差と筋交いが人の居場所をつくっている感じがなかなかよかった。実は人に言えないほどローコストでつくってあるのだが、その割に家具の造作なんかはしっかりつくってあった。外壁を含めた見栄えも決して安っぽくない。

外壁といえば最近の建築家のつくるものはこのガルバ一文字葺きが多い。このブログで紹介したのも気がつけば一文字葺きばかり。一時期スパンドレルのオンパレードになったときに似ている。流行ってるならやめようかな。

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2010年08月12日

浜田山の家OHに行く

元氣つばさ設計事務所が設計した住宅のオープンハウスへ。
案内をもらって近そうと思ったら事務所から自転車で5分くらいのところでした。

前面道路である西側には完全に閉じて、断面を塗りつぶしたような立面が存在感のある外観になっている。2階で大きく南側に開きつつ囲い込んだバルコニーをテント幕で覆って内部に引き込む。建築面積から外すために壁も床も透ける必要性があったバルコニーが、かえって外と中の緩衝地帯としてうまく機能していた。
内部は床が白くて天井が黒いという自分ではあまりやらないインテリア。家具や物が置かれるとどうなるのか興味深い。細かい部分ではこだわりと割り切りの良さが同時に感じられる住宅でした。

帰り際、玄関先で建主と思われる方が友人に自慢げに自宅を紹介している姿が印象的。ほほえましいです。

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2010年08月10日

武蔵美図書館を見学

建築家藤本壮介氏設計の武蔵野美術大学図書館を見学。
かなり話題になっていた図書館ですが、いろんな意味でびっくりさせられました。

建物は木立に囲まれて、全面ガラスに木々が映り込むことで周辺に溶け込んだ印象。よく見ると全体が茶色の本棚でできている(ように見える)。彫刻のようにくねくねと曲がる本棚のフレームが門となってアプローチを構成。お金が掛かっていそうなガラスと本棚の複合体は、結露しないか、メンテはどうするのか・・・、勝手に心配してしまう。

中に入ってもとにかく本棚が図書館全体を構成している様子が目に飛び込んでくる。高い天井に達する本棚はぐるぐると渦巻き状に配置され、その渦巻き動線を横切る動線とともに様々な場所をつくっている。決して使い勝手は良くないだろう。本を探すのもごちゃごちゃして分かりにくそうだ。「本棚が渦巻きを描いて図書館を構成している」というコンセプトというかルールが優先され過ぎている印象。高い本棚の半分から上はいろいろな理由で本棚として使えないし、棚の厚み(奥行)を統一してしまって様々な本に対応しきれていない。それと随所に見られるローコスト感。細かいがやっぱり残念。

しかし良い点もある。くねくねと曲がる本棚に幾何学的な意思が感じられないので、堅苦しさがない。いろんな自分の場所を探せる楽しさ。また本棚が圧倒的な存在感で図書館の記号となっているのは良いか悪いか分からないけど新しさというよりは古典的な気がした。もっと本棚を家具的につくらないで構造としてつくって、「本棚にもなる」くらいの方がよかったのではないだろうか。

今までの、図書館はこうあるべき、みたいなものを覆し、苦労する人が多そうな反面楽しそうではある。とにもかくにもこれが実現したことが驚くべきことなのかもしれない。

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2010年06月30日

箱の家OHに行く

建築家難波和彦さんの箱の家シリーズNo.135のオープンハウスへ。
建坪9坪という狭小だが、箱の家の特徴である一体空間がその狭さを感じさせない。というよりは「手を伸ばせば届く距離」感がむしろ心地よさとなっている。3層分のボリュームの中で6枚の床がスキップフロア状につながり、様々な場所を見付けるお得感まである。
箱の家はいくつか見たことがあるけれども、空っぽな箱を自由に使ってくださいという家ではない。むしろ大工による造り付け家具が適所にばっちりと納められている。それがこのコンパクトなボリュームに納められていると、家自体が職人による工芸品のようにも思えてくる。隣にいた友人が一言「家具みたいな家だな」。
実は今計画中の住宅は建坪8坪。9坪を体験しましょうということで建主とご一緒したのだが「意外に狭く感じないですね」という感想。・・・がんばらねば。

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2010年03月24日

OHへ行く2

大学の先輩である荒木潤二さんの設計した住宅を見に行く。
上北沢というあまり馴染みのない場所ですが、事務所から自転車で行くとその地域の特徴やハッとする建築を見付けられて楽しいです。
閑静でのびやかな住宅地でした。

目当ての住宅はL字平面の二世帯住宅で、表玄関の方からと裏口側からとで、まったく違う印象。外壁は菱葺きという最も雨仕舞いが良いと言われる葺き方ですが、反面納まりが大変そうです。しかし屋根もそうだけど現場で独自に納まりを工夫しているようでした。

内装でも自分ではやらない、というか思いつかない材料、納まり、色遣い、などが見られてよかったです。なにかを参考にした常道みたいなものを感じられず、どぎつくはないけど個性が感じられるデザインでした。

帰りは善福寺川沿いを通って帰宅。
川沿いのサクラが芽吹いて、そろそろ咲くかと思うと楽しみです。

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2010年01月28日

OHに行く

建築家谷尻誠さん設計の「小平の家」オープンハウスへ。
最初見た外観はちょっと異様でびっくり。でもとにかく「こういう家」という主題がはっきり伝わってくる。そのための様々な潔さには元気づけられる思いでした。
谷尻さんから気さくに声を掛けてもらい、その人柄と明るいパワーが人を寄せ付け、巻き込んで行くのだろうと想像させられる。氏曰く「色々やろうとすると何がやりたいか分からなくなっちゃう」。
そういえばある編集者からも、ある写真家からも、「建築は分かりやすくないとね」って言われた。ぼくもそういう側面があるけど、表現者とは伝わりやすさ=分かりやすさ、を求めるのである。
しかし、みんながみんなそう言うからあえて疑問を持ってみる。
「何がやりたいか分かりやすい建築」とは「いい建築」なのか?
・・・いきなり深ーい話です。

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