2012年04月23日

仙台を視察

これも恒例になりました。木の建築賞の現地視察で仙台へ。昨年東北大会をする予定が震災の影響で延期となり、今年あらためて東北大会をおこなうこととなりました。恥ずかしながら震災後初、一年以上経ってようやくの東北入りです。

昨年盛岡で開催予定だったものは全くの白紙となり開催地を模索。そもそも東北でやるべきなのかという意見も数多くあり、震災復興関連の応募に関して議論を重ねて、前向きに東北で、やるならど真ん中とも言える仙台でということになりました。

正直「東北」ということだけで敏感に反応しナーバスになってさえいたのが、新幹線で2時間ちょっとはあっという間。郡山も福島も通り越して行くのには勝手な罪悪感さえ持っていたのですが、一見するとなにも変わらない大都市の姿でありました。

初日は現地でお世話になる東北大学の先生と打合せ、その後二次選考会会場の候補として仙台メディアテークへ。震災で天井が落ちるという被害があった7階は、その特徴的だったランダムな蛍光灯配置がなくなり、天井材を張らない意匠となっていた。ある意味震災の爪跡を感じる。
次の日の東北大学キャンパス内では山本・堀アーキテクツ設計の新しい施設を見学。同じキャンパス内の高層棟が相次いで構造的被害を被り、大学の面目もどこへやら順次取り壊しの予定だと言う。新しい施設のすぐ近くにプレハブのキャンパスが並ぶ姿は、なんとも切なくなってしまった。

帰路につく前にレンタカーを借りて松島と石巻へ行った。あいにく雨が降ってきてしまったのでじっくり見て回ることはできなかったが、車窓から見ても一年前を十分想像できて悲しくなる。ガレキが取り払われているので一見なにもないことが自然のように見えて、よくよく見ると違和感に変わる。そしてそこにあったものが一瞬にしてさわられてなくなることを想像する。いや一瞬と言ってはいけない。
人が苦しみ、悲しみ、叫んでいたそのときに、建築が無力であったことを心に刻みたいと思いました。

120423-1.JPG120423-2.JPG
posted by miz at 13:10| Comment(0) | TrackBack(0) | メモ

2012年03月23日

長谷川豪展を見に行く

おなじみギャラリー間の「長谷川豪展 スタディとリアル」へ。明日までの会期・・・。
ついに年下の建築家がギャラ間で展覧会をするようになった。
自分もいい歳なんだという寂しい気持ちとがんばらねばという気持ちが混在する。

彼のデビュー作はSDレビューで見て衝撃を受けたのを今でも覚えている。とても大きな模型で、通常あまり注目されない小屋裏を広く光で満たした不思議な体験のできる家だった。森の中では開放的にしがちなのを違った視点で木々との関係をつくっている点、ひっそりと主張しない建ち方に好感を持った。
その後の桜台の住宅ではテーブルを大きく、五反田の住宅では扉を大きく、この人は「何かを大きく」つくる人だと勝手に解釈していた。確かどこかで、異様な建ち方にならないように気を付けている、というようなことを言っていたと思うが、それらの作品も一見派手ではないように見えて実は大きな個性を備えているのに注目が集まったのだと思う。いわゆる「分かりやすい建築」だ。
展覧会でも分かりやすい言葉とストレートな建築への姿勢は見る人の心に響く内容だった。各展示室に1/1スケールの建築(模型)が出現しているという建築展は未だかつてない。石巻の幼稚園へ通い、展覧会を通してなにかできないかと考える発想の柔らかさと行動力。
最近の作品は決して「異様に見えない」とは言えなくなっていると思うけれども、それも試行錯誤して苦しんでいるってことだとオジサンとしてはうれしいんだけど。これからの活躍がとても楽しみな若手建築家であることは間違いないです。

120323.JPG
posted by miz at 17:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 展覧会

2012年02月15日

岡田自邸について

芸大時代の友人、岡田雅人くんの自邸が完成。たまたまですが自邸ネタが続く・・・。
といってもこちらは協力という形で関わった物件なのでちょっと特別。様々な苦労の末にようやくお披露目となったこの日、感慨深いものがありました。

彼がぼくの所にやってきたのは2年前の夏の終わり。すでに基本設計を終えて実施設計中で、これからどうやって進めるかという段階だった。事務的なアドバイスをしたり業者を紹介したりという程度の協力で、思い返すとその時から今の今まで、彼のその設計やデザインに対してまともに批評したことはなかったと思う。
それは意識的にだと思う。何か言いたくてウズウズしてくる職業病を意識的に。建築家が「自邸」を設計するのに、もう一人の建築家が口を挟むものではない、と勝手に思っていた。思う存分好き勝手に好き放題やらせてあげるのが一番いいに決まっている。自分がその立場なら絶対にそうだ。
もちろん彼はそこまで考えていなかったかもしれない。だからこそ「もう一人の建築家」のところに相談にやってきた。様々な覚悟や不安を抱えていたに違いない。
ここで「めもていど」の感想を書き留めておこうと思う。面と向かって言わないでこんなところでいうのも卑怯だが、ちゃんとした文章にしておきたいし、それで伝えるのも悪くないだろう。実はオープニングでの来客の反応があまりに好意的なものばかりで、嫉妬すると共に誰かしら批判的なことを言う人がいてもいいのではないか、という思いもある。でないと今後の岡田くんにとっても良くないのではないか、彼にはこれに満足しないでもっと試行錯誤を繰り返して更に建築の深みにはまって欲しい(笑)。一番身近にいた自分がその役割をしてみよう。・・・って本当に偉そうですみません。
以下実際に建物を見た人じゃないと意味が分からない内容と思いますがお許しを。

建物は世田谷の小さな商店街の一角に建つ3階建てのRC造。1階を設計事務所とした兼用住宅である。決して広くはないそれぞれのフロアを細分化し、様々なレベルを設けてアーチの開口部でつないでいる。「境界の家」と名付けられたとおり、都会と郊外の境界とも言える立地では見る方向によって異なる景色が取り込まれ、開口部という境界を通して様々な空間とシーンが連続して見えるとともに、体験できるようになっている。

ところで、大学院だけ芸大に行った自分と違って、生粋の芸大生の彼はとにかく絵がうまい。ご両親、お兄さんは音楽家で美術品の収集が趣味という芸術一家だ。彼自身は普段イラストやグラフィックといった仕事が多く、今回の自邸はほとんど処女作と言っていいくらいの建築作品である。だからというわけではないかもしれないが、所々で自分とは思考の仕方が違うなあという思いがあった。
スケッチブックにさらっと書く絵がこれまた芸術的で、OHでずらりと並べられたものを見ても思うのが、とにかくアイレベル(人の目線)の視点によるパースが多いということ。つまりそこに立ったときにどう見えるか、何が見えるか、おそらく彼の頭の中はそのことでいっぱいなのだ。
それに対して自分はもっと俯瞰的に見ている。スケッチブックにあるのは平面図ばかり。つまり人がどう動くのか、場所がどうつながるのか、そういうことばかり考えている。
もちろん彼も平面図を書くし、自分だってパースを書くけれども、その比重が圧倒的に違う。どちらがいいとは端的に言えないけれども、その違いが自分のこの作品に対する批評になる気がしている。

一番感じたのは場所と場所の関係をもっと身体的につないだ方がいいのではないかということ。これもそもそも意識の違いで、彼はおそらく「境界」において「つなげ方」よりは「分け方」を思考しているのではないかと感じた。「つなげ方」と「分け方」なんて結局同じことになるのかもしれないが、ようするにアプローチの仕方が逆だということ。
1階の事務所スペースと2、3階の住居スペースは一度外に出てからつながる形で完全に分離しているし、2、3階もフロア同士は分離して階段部分でのつながりしかない。段差があるのでそれが各階での天井高に影響し合ってつながりがあると言えなくもないが、段差はどちらかというと「つなげ方」より「分け方」を検証した結果だろう。隣り合うスペース同士も見え方という意味での「つなげ方」は存分に検証されていると思ったが、空間的・機能的に、積極的につなげることまで考えてはいないようだった。
もっとも彼は逆に意識的に分けたと言うかもしれないし、その分節には理由があるだろう。しかしそのことによって可能性が失われる懸念もある。つまり分節されている場所と場所が、あるときには一体になるとか、違う使われ方をするとか、もっと言えば1階の事務所さえ住宅になるような「つなげ方」があってもよいのではないか。それは日々の建築の使われ方としてもそうだし、将来的な変化などに対する可変性(フレキシビリティ)とか住まい手が手を加える余白という意味でも。

また仕上げの色に関することも興味深かった。カラフルな色を使うわけではないが、フローリングの色を濃淡で分けたり、壁や天井の色を白、黒、グレーと塗り分けている。その色の違いも「境界」をつくるひとつのツールになっているわけだ。このことは特に「つなげ方」よりも「分け方」を考えていることの現れだろう。
自分ならもっと建築的な要素、例えば壁とか段差とか天井高とか、あるいは素材そのものとかそういったものだけで分節する。建築を成立させるためにどうしても出てきてしまう要素で、できれば分けたくないがどこまでつなげられるか、あるいは緩やかに分けられるか、を考える。もちろん色だって立派な建築的な要素なのだけど、それは平面図的な思考ではなかなか出てこない、パース的な思考で見えてくるものだと思う。
現場で色を決めるときの彼には隣で見ている限りあまり迷いがないように見えた。自分なら色を付けるかどうかを迷うところを、もうすでに色を付けることはその徹底した思考の中で決定済みだからかもしれない。
この建物はコンクリートの打放しで、荒々しい構造がそのまま見えるというデリケートな仕上げであるが、どうしても汚くなってしまったところは表面的に「補修」が施される。自分としてはこの「補修」が「補修したと分かる」くらいきれいだとなんだか気持ち悪くて、この現場でもその点にはこだわって指摘した。しかし今思うと彼の方はそこまで気にしていなかったかもしれない。最終的にどう見えるか、きれいに仕上がることが大事であって、「補修したと分かる」という背景や意味するところはそれほど重要ではないのではないか。
その証拠にボードで作った天井や扉にコンクリート風の「絵」を書いてそれを仕上げにしていたりする。一目見るとコンクリートだと思うので、叩いてみると軽い音がしてびっくり。もちろん単純に「おもしろい」とは思うけれども、自分にはできない離れ業だ。しかし彼には実際にそれがコンクリートである必要はなく、コンクリートに「見える」ことが大事なのだ。自分が背景を読み込む経験的な思考だとすると、彼の場合は現象的な思考と言える。

しかしながら、こういったことを当初から完成にいたるまで口に出さないで本当によかったと思っている。実際に仕上がって体感してみて、このようになるとは自分が想像できていなかったことが分かった。空間体験のシークエンス、あるいは連続する見え方、タテヨコのプロポーション。とてもきれいに見えてそして気持ちよく感じられた。特に3階の南側に向けて、手前から奥へと段々と視線が抜けてゆくその経験はすばらしかった。
実は自分は可変性や余白を担保しないと作れなくなっている。積極的な意味で前向きにそこを目指している自覚はあったが、それで「逃げを作って」いるつもりが文字通り「逃げ」ていることになっていないか。レベル差をつくること、強い壁をつくること、あるいは色をつけることに抵抗を持つようになってしまった。しかしそれは経験的で消極的な理由によるところも大きく、それによって失っているものもあるのだということが分かった。一体誰が経験的な思考でもって見るのかと言えば、ぼくら建築関係者だけなのだから・・・。
岡田くんの場合は彼の知識や経験という意味で、経験的思考には成り得なかったのかもしれない。しかしそれゆえにできたことは大きく、その初々しさや情熱、そして正直にまっすぐに自分のつくりたいものに没頭している姿を見て、勇気づけられました。

感想や批評と言うよりは自分と比べるうちにとりとめのない反省文のようになってしまった・・・。しかしこういった形でもう一人の建築家の設計、しかも自邸の設計に関われたのは幸運だった。そしてなにより良い経験になったと思っています。
どうもありがとう。そしておめでとう!
これから更にすばらしい家になることを祈っています。

120215-1.JPG120215-2.JPG
posted by miz at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 見学

2012年02月10日

建築家自邸OH

以前にもOHに行ったのをブログで紹介した先輩である荒木潤二さんの自邸が完成。
場所は三鷹の住宅街。息子のスイミングプールの帰りに同伴でお邪魔してきました。

前から自邸設計のお話しは聞いていて、なにやら色々な葛藤があったようである。
家族や施工業者からの期待。
「すごいチャレンジをするのではないか」
「とんでもないものができるのではないか」
でも施主の顔が見えるどころか一番身近な存在である家族を道連れに、一体どこまで冒険なんてできるのか。
”建築家の自邸”ということの難しさである。

でもこれは普段の設計でも変わらずテーマになることだ。
自邸だからといって周りからのプレッシャーを気にせず、自分の良いと思うものを追求してつくる。
自分ならそれにちょっと冒険をプラスする程度だろうか。
・・・なんて偉そうに言って怒られそうだけど。
その立場になったらあたふたしそうだな・・・。というかその立場にいつかなりたい!

荒木自邸は結論として特に冒険することにテーマはなかったようだが、いかにも本人の人柄が現れ、そのこだわりや葛藤までも表現されているようで素直な家だった。
材料や納まりのこだわりとちょっとした遊び心。
なにより「人がたくさん集まる」ということに主題が置かれ、当日沢山の人で溢れかえっている様子を見て、素敵な家だと思いました。

120210-1.JPG120210-2.JPG
posted by miz at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 見学

2012年01月30日

テレビ放映

日本テレビの朝の情報番組「スッキリ!!」にて、堀ノ内の住宅が紹介されます。
放映日は2月2日(木)9:00〜9:30くらい、番組中の「スッキリ!!ハウジング」というコーナーで15分くらいのようです。
実は自分は見たことがない番組、コーナーなのですが、お施主さんではなく、建築家が案内してます。

撮影は1月中旬、丸一日掛けて撮影しました。お施主さんには大変ご迷惑をお掛けしてしまいました。この場を借りてお礼申し上げます。
当初自分がテレビには出るのはかなり抵抗があったのですが、やはりテレビの影響力・営業力を考えて出演してみました。台本があって色々と演出されている部分も多いですが、テレビってこうなのかーというのが少し分かった気がします。建築家の苦笑い、愛想笑いがたくさん見られるでしょう。
撮影時間の割に放送は10分程度。どのように編集されているのかとても不安ですが、この際楽しみにしてみようかと思います。
それととにかく堀ノ内の住宅が素敵に映っていること。それだけを願います。
posted by miz at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | メモ

2012年01月16日

「建築、アートがつくりだす新しい環境」へ行く

1/15(日)までの建築展の最後、東京都現代美術館の「建築、アートがつくりだす新しい環境 -これからの”感じ”」へ。この会期終了直前に行くという悪い癖はどうにかならないものでしょうか。

妹島和世と西沢立衛のSANAAが企画、展示構成を手掛ける展覧会だけあって、SANAA関係者展みたいな気もする。ジャンルや世代も多岐にわたるが、建築勢は完成形よりはプロセスやスタディ模型を見せるものが多く、アートに少しでもすり寄ろうという意図が見えた。特にスペイン勢建築家が多く内容も興味深かった。

石上純也の展示はまたしても「メンテナンス中」。彼のはいつも展示中に壊れてしまうのだが、彼の作品特有で残念と言うよりはおかしかった。
インドのスタジオ・ムンバイやバーレーン文化省、そして近藤哲雄他の作品は、いずれも妹島和世が総合ディレクターを務めた第12回ヴェネツィア・ビエンナーレで話題になったものである。こういった形で日本においてそれらの作品に触れられたことは貴重だった。屋外展示されていた「Cloudscapes」は箱の存在感もよかったが、やはり人工雲を突き抜けて歩くという初めての体験がおもしろい。この雲をつくり出したのはクライメート・エンジニアと言われる建物内の気候を担当するドイツの専門家集団。こういう立場の人は今後様々なところで必要になるのではないでしょうか。

エントランスホールでは「失われた街」という大震災で失われた沿岸部の模型復元プロジェクトの展示。ギャラ間での展示は見逃してしまったから、ここで見られたのはよかった。まっ白な失われた街がものも言わずに、それでもなにか我々に訴えているような気がしてしばし呆然としてしまいました。

R0061370.JPG
posted by miz at 17:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 展覧会

2012年01月14日

メタボリズム展に行く

今度は森美術館で行われている「メタボリズムの未来都市展」へ。今回がメタボリズム初の展覧会とは知らなかった。宣言から約50年。今回これだけ包括的に行ったのはかなり意義のあることではないでしょうか。

5時間くらい会場にいただろうか・・・、とにかく内容の濃い貴重な展示だった。そして60年代当時の社会的な高揚感や建築家達のエネルギーやパワーに圧倒されてしまった。自分ではなんとなくメタボリズムを分かった気でいたが、何も分かっていなかったのだ。今更と言う気もするが、浅田孝という建築家をよく知らなかったし(浅田彰の叔父)、もっと言えば黒川紀章や磯崎新や大谷幸夫といった巨匠達の巨匠たる所以がようやく納得いった感じさえした。榮久庵憲司といえばインダストリアルデザインの人だとタタカをくくっていたら、「道具」から派生して建築や都市のビジョンをここまで描いている人だとは知らなかった。震災復興においてもとても尽力している人である。
メタボリズムのメンバーが1960年の世界デザイン会議においてメタボリズム宣言をしたとき、彼らは軒並み今の自分より若い。黒川紀章なんて若干26才、まだなにも作っていなかったそうである。そして無償で自分たちの理念を表現するべく圧倒的な未来の都市像を訴えていく。戦後日本の高度成長期の夜明けと言えるだろうが、皆が一丸となってある方向へ向かって走っていたと想像できる。

展示は歴史的な背景や、所謂メタボリストメンバーでなくともその理念や方向性を持ち合わせた人、作品、プロジェクトを取り上げて、深く分かりやすく解説している。建築にとどまらす、デザインやアートといった領域にまで影響を及ぼしている。当時の図面や模型やスケッチはとても貴重なものばかりで、特に施工やインタビューの映像はこれから見られることはないかもしれないほど貴重なものだった。細かい模型とその構成・空間を思考し作り上げる能力にはあらためて脱帽である。特に1970年の万博は、今見てもとても新鮮なものばかりで、当時の社会的な空気と一緒に我々に訴えかけてくるものがある。
当時の計画が今に引き継がれ、海外などで50年越しの都市計画が実現するものもあるらしい。50年前の思想がいまだに有効で、かつその時の無償の努力と表現が今に実を結ぶことに驚くと共に感動する。そしてどうしても今の自分、今の日本と比較して、納得してみようと試みる。特に背景にある「国家」というものが現在とは全く違う存在になっているんだろうなあ。だとしても今この困難の時代だからこそ無視できない、もう一度真剣に向き合いしっかりと検証・分析し、受け継がなくてはならない部分がたくさんあると確信もしました。

最後のコーナーではメンバーによるシンポジウムの映像が流されていたが、近年では丹下健三、黒川紀章、そして菊竹清訓といった方々が亡くなっている。寂しい気持ちもしたが時代が変わるときなのだという思いも強くなる。シンポジウムではご健在だった菊竹清訓さんが退席するときに我々へ送ったメッセージをかみしめ肝に銘じよう。
「問題は展開する。決して分かった気にはなるな」
合掌。

120113.JPG
posted by miz at 01:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 展覧会

2012年01月11日

オルジャティ展に行く

前回書いてから1か月以上経ってしまった。なんとなく月に2回くらいは書こうと思っていたのに。
12月は年末で昨年は日本にとって大変な年だったし、自分にとっても飛躍のきっかけとなるべき年であったので、なにか総括したかったのだが・・・もう手遅れでしょうね。
年始のあいさつというのもずれている気がするので淡々と続けることを目標にします。

それからブログのタイトルが「めもていど」となっている割に、ここではちゃんと文章を書こうと意識している。というのもFacebookを始めてからメモ程度のことはそっちで記録しておくことが多くなったから。そこでブログの役割を考えて、やはりこちらではある程度考えた文章を発信しておこうと思います。

新年最初は東京国立近代美術館(MOMAT)で行われた「ヴァレリオ・オルジャティ展」
近年話題のスイス人建築家なので名前くらいは知っていたものの、どんなものをつくっているのかは実は全然知らなかった。
MOMATでの建築展はこれで3回目。ひとつのギャラリーを使った展示だし、個人展だからそれほど大きいわけではない。

とても興味深い展示だった。本人が意図したように会場を巡り図面や模型や発想源となる図版を見ていると、オルジャティの思考を巡っているようでいて自分の思考とも重なってくる。その共感を彼は「設計していること」だと言う。つまり展示それ自身が建築という行為なのだと。
この共感を可能にしているのはオルジャティ建築に共通する「なにもなさ」だと思う。あるいは「建築だけがある」。
写真やCGを見ていると「どのように見せるか」ということもかなり意識している人だと思うけど、とにかく無駄なものがない。こまごまとした生活や活動を想像させるもの、例えば文字情報や色や人間自身といったものが排除されている違和感。さらには環境やコンテクストといった建築の背景やベースさえないように見える。しかしそこには構造と素材と空間が力強く存在している。つまりそれを「建築だけ」と感じた。
彼の建築は骨太で、そこにわずかなずれや歪みが加えられていてちょっといやらしい気がしないでもない。しかしそのことが建築を強調し、建築を身体的なものにしているのだと思う。そして度々CGか写真か分からなくなったように、完成したものとプロジェクトで終わったものの境界がないような気もした。それだけ実際できあがっているものが抽象性を獲得しているのだ。
人や周辺を無視しているとか機能的でないという批判は容易いが、むしろそれらは全て建築に取り込まれているような気がする。なんでも取り込めるとき、残るのは建築としての強さなのだ。

スイスと言えばヘルツォークにズントー。しかしどちらでもないオリジナルで強い建築をつくる人がまた現れた(気付くの遅い)。とにかく一度身を置いて感じてみたい建築達だ。

帰りは林昌二氏のパレスサイドビルを拝んで帰る。あらためまして合掌。

120111.JPG
posted by miz at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 展覧会

2011年11月30日

狭山ひかり幼稚園OHに行く

もう1か月前になりますが、一応行った記録としてメモ。埼玉県狭山市の幼稚園のオープンハウスである。
設計はまたもや芸大時代の同期、アタカケンタロウくん。本人が通ったという幼稚園の建て替えを設計できるなんて。
相当な苦労と努力をしたと聞いていたけど、やりがいがあったことと想像します。

最初に見た印象は思ったより小さい、ということ。雑誌などで見ていたよりこぢんまりしていて、利用者が子供でスケールが小さいから相対的に大きく感じたのだと、自分なりに納得してから中に入った。
入ってすぐ目に付いたガラスと引戸の納まりをしげしげと見ていたら、「やっぱそこ、気になる?」とアタカ氏。みんなそこを見ていくそうで、建築家の病的とまで思えるような習性を指摘されたようでバツが悪くなった・・・。
内部は外から見た印象と同じく思ったよりもこぢんまりしていて、子供の空間と言うことを抜きにしてもそれはほどよいスケールだと感じた。各教室は、それぞれ異なる断面形状で園庭と裏庭に向いて開き、それらの教室を2本の通り道が貫く構成。断面形状の差異や開口部の設け方、仕上げの差異と統一感、それらが構成の決定ルールの中で葛藤を繰り返し、様々な関係者の中でよくぞまとめたものだと関心した。同じ設計者としては設計上定めたルールを逸脱している部分に関しては、それを非難するわけではなくどうやって新たな解釈として自分自身で消化したのか、が気になりそれとなく聞いてみた。もちろんそれなりの理由があって新たな解釈も聞けたのだが、それらを抜きにしても子供達の空間として良いものを見せてもらった。

芸大の友達はみんな第一線で活躍していて、しばらく会わないと遠い存在に感じてしまうのだが、話をしていると自分と同じ強さと弱さを感じられて親近感が増す。彼にとってどうだったか知らないけれども、ちょっと安心して帰ってきたのでした。

111130.JPG111130-2.JPG
posted by miz at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 見学

2011年11月22日

白金の住宅改修

11月の頭に白金で設計監理していた住宅の改修工事が終わる。築35年の鉄骨造3階建て。3社か4社でのコンペになった中でご指名を受けた物件でした。
外形としてはほとんど手を付けず、耐震補強などもしながらどこまで心地よい住まいとしての内装に一新できるか。住まい手のこだわりと元々あった昔ながらの建具やガラスが印象的で、なんとなく「レトロ感」を演出するような内装になった。特にトイレや洗面所といった水回りで主に腰壁タイルとして使ったものが雰囲気を出し、この家の特徴にしている。また左官漆喰のテクスチャーや濃茶の造作が、この建物の時間も継承したような気がする。
平面計画としては1階はほとんど手を付けずにガレージと作業場を残し、2、3階の居室に関してもLDKを3階に持ち上げた他はなにもしていないに等しい。すでにアイテム化してきたカーテンや可動家具による間仕切りを想定して、住まい手にイメージしてもらうことで将来的な自由度を担保できたと思う。
外観は小豆色がまっ白へ激変!色だけだけど新しい生活を始めるには良い変化だと思う。内装写真は近々HPにアップしよう。

111122.JPG111122-2.JPG
posted by miz at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事